一時期、社交不安障害の症状が悪化してしまい、ひきこもりのようになってしまった経験がありました。ひきこもりになってしまった原因は、学校生活に対して苦痛となってしまったことです。
私は、2年制の専門学校に通っていました。
社交不安障害が悪化した時期は、就活や進学を決めなければならない時期でした。19歳、20歳くらいの頃だったと思います。
大学進学を志望していたので、面接練習や試験勉強の真っ最中でした。今まで毎日の学校へ行くことすら緊張していました。それは、小さい頃から変わっていません。
さらに加えて、学校のテストやプレゼンテーションなども重なっていたので、ものすごくストレスがかかってしまう時期ではありました。
私の通っていた学校では、プレゼンテーションがとても多かったので、人前で話さなければいけない授業や試験が数多く組み込まれていました。
それをこなしながら大学進学に向けての準備もしなければなりませんでした。
すでにその時には、毎日の授業でとても具合が悪くなることが多く、体調のことを先生に伝えて逃げ出してしまうことも増えてしまいました。
その時には、先生に「みんな具合悪いんだよ。」という冷たい言葉を受けることもありました。
色々な考えの方がいるので、そう思ってしまうのも分からなくはないです。学生の中には、面倒臭くて授業をサボってしまう人もいますから。
大学進学を希望していた私は、願書を郵便局に持って行こうとしていました。
ですが、いざ郵便局を目の前にしてしまうと面接を受ける、試験を受けなければいけないという緊張と不安が頭をよぎりました。そして、引き返してしまいました。
窓口ではなく、ポスト投函で送ろうと思いました。
何度も何度もポストの中に入れようとしました。
ですが、毎回願書を入れられずに握りしめて帰ってきてしまうのです。どうしても怖くなり、心が痛くなってしまいました。そこには、いつも弱い自分がいました。
結局、願書提出期限の前日まで入れることができませんでした。
次の日になり、提出期限の当日にやっぱり諦めきれないと突然思ったのです。もうポスト投函をしても間に合わなかったので大学に直接提出しようと決めました。
自宅から大学までは、電車で1時間以上かかります。少し遠かったのですが一度きりしかないチャンスを逃したくないと思ったので向かうことを決意しました。急いで準備をして電車に乗りました。
最初はとても調子が良かったのですが、大学に近づくにつれてどんどん具合が悪くなっていることが分かりました。乗り換えで駅の通路を歩いている時でした。
今までに経験したことのないような吐き気が私を襲いました。
どうしようもなくなってしまい地下の駅通路にしゃがみ込んでしまいました。このままどうなってしまうのだろうと怖くなりパニック状態になりました。
人混みでしたが、誰も声をかけてくれる人もいませんでした。当然でしょう。
どうしていいのか分からなくなりましたが、なんとか立ち上がって人の少ない場所へ移動しました。長い間座り込んでいる私のことをどんな風に見られていたのかと思うと、恥ずかしい気持ちにもなりました。
どうにかして体調を整えなくては、と思い願書の提出を諦めました。
そうすると少しだけ体調が良くなった気がしました。
これ以上は無理だと思った私は、もう期限に間に合わない願書をポストに入れてゆっくりと家へ帰りました。大学の職員の方にとてもだらしない人だと思われたと思います。
逆に投函しない方が良かった気もしましたが、その時には、パニック状態になっていて送らないと後悔が残る気持ちでした。
それ以降、徐々に体調が悪化していき、学校に通学することすら難しい状態になってしまいました。
その後、両親と学校へ相談しに行くことも増えて、なんとか卒業できるように何か対処法はないかということも頼みました。
当然のことながら私だけ特別扱いをできるわけがありません。
卒業するには、学校に通ってプレゼンテーションや試験も受けなければなりませんでした。当たり前のことですが、最後のあがきでした。
無理なのは、分かっていました。
その後も学校のカウンセリングや担任の先生と相談をしました。ですが、打開策は見つかりませんでした。私の体調は、悪くなる一方でした。
両親が付き添って学校へ相談に行けば、クラスメイトや知人に会うこともありました。当然ですが、恥ずかしい気持ちがありました。周囲は私のことを、とても滑稽に見えたと思います。
自分自身のことがどんどん嫌いになっていることが分かりました。
小さい頃から社交不安障害という精神障害を抱えていて、今までもなんとか耐えながら生活はしてきたのですが、ついに限界のラインまで来てしまったのです。
その後、私は学校へ行けなくなりました。
こんなことは人生で初めてだったので、すごくショックでした。
学校生活から逃げてしまった私は、自宅でぼーっとしている日々を過ごしていました。時間だけが刻々と過ぎてしまい、気づけば卒業時期が近づいていました。
私には、時間がありませんでした。
昔から、諦めてしまう罪悪感や後悔を引きずってしまう性格なので、ギリギリまで学校のことを悩んでいました。ですが、これ以上、学校の先生方や両親にも迷惑をかけられないので専門学校を辞めることを決意しました。
そこから私の引きこもり生活がはじまりました。
あまり恥ずかしくて言いたくないのですが、部屋でずっと泣いていることもありました。
人生に悲観的になった私は、楽しさや喜びを見出せなくなってしまい部屋で一日中寝ていることが多かったです。
何を食べても美味しく感じない、テレビや音楽を聴いても何も意味ないと感じるようになりました。普段やらないゲームを手にとってやってみたり、普段飲まないコーヒーを飲んでみたりしましたが、何も変わりませんでした。
やることは、常に横になって寝ていることでした。
こんな状況では、危険だと思った母は、私を外へ連れ出すために祖母の家に行くこともありました。特に何もすることなく自宅との行き来をするだけです。
そんな自宅にほとんど引きこもっている時期が、半年以上続いていたと思います。
その中で見つかることは何もありませんでした。
ただ思うことは、自分は何をやってるんだろう。なんのために生活をしているのだろう。と悲観的な言葉しか思い浮かぶことはありませんでした。
時々ですが、子供の頃の生活やクラスの人を思い出すこともありました。
その時には、子供の頃は無邪気だから今よりももう少し体調が良かったのかなぁとか、他の人が笑顔で笑っているのを見れば自分も他の人間だったら、メンタルが強い人間でいられたのかなぁなどと他人が羨ましく感じてしまうことすらありました。
いつも思っていたことは、あと一分一秒でも生まれるのが早かったら違う人間に生まれ変わっていたかな、というような意味不明なことばかり頭の中で考えることがたくさんありました。
イライラしてものにぶつかることもあれば、自分に当たってみたりということもありました。
何も変わらないまま時間は過ぎていきました。
あまり良くないですが、自分がいなくなったらなどと考えてこともあります。ですが、そんなこと怖くてできませんし、家族や身内にも一生迷惑がかかりますし、他の人を驚かせてしまうのも嫌です。
何よりも一度きりの人生で、深く考えれば深く考えるほど絶対に後悔すると感じました。今までほんの少しだけでも楽しいことはあったと思います。
それが、小さい頃だったり、何かをしてちょっとだけでも楽しいと思える時間があったり。そんな小さな幸せがこれからも見つけられるということを信じられる瞬間がありました。
つらい状況の中でも、そんなことを思っていたら少しだけ前向きにいられる自分がいました。
どうにかして何かを変えなきゃいけないと思い、少しだけ一人で外に出てみました。すごく天気が良い日で風もありました。なんとなくでしたが、ちょっした風や太陽の日差しが気持ちよく感じられました。
それは、私の再スタートとして何か大きな変化を与えてくれたと思っています。
今まで部屋にひきこもっていていたからこそ感じられた素敵な瞬間でした。
私のような、こんなに体調のひどい状態の人なんて周りには誰もいない。なんていつも思っていました。知人にもそのような人はいなかったか、カミングアウトする人なんて少ないでしょう。
ですが、テレビを観ると時々流れているドキュメンタリーやニュース。私とは、全く状況が違いますが、依存症、うつ病、金銭面、DV、親の介護に人生を注いだなど様々な人がいることを知りました。
事情は全く違いますが、そんな状況でも必死に闘っている人の姿を見て自分の体調なんてちっぽけに感じることすらありました。
人生ってなんだろうとか、なんでこの世に自分がいるんだろうと考えれば考えるほど答えは見つかりません。恐怖、不安、悲観、憎悪、自分に対してたくさんの文字が飛び交ってます。
生きるという言葉の重みは計り知れませんね。
それでも、人生の長い時間を考えたり昔の写真を見返してみると、あの時良かったなぁ、楽しかったなぁ。とか少しだけでも笑顔になれればいいんですよね。
本当に少しだけでいいんです。それが、積み重なれば大きな幸せなんだと思います。
贅沢なんていらないんです。
自身を変えるためには、挑戦や意欲も重要ですが、何か小さなことで幸せに感じられる瞬間を見つけることが大切なんだと思います。